はやにえ日記

オタクとなんてことない話

全部君のせいにさせろ

掃除機が壊れた。

一連の出来事があまりにもかなしくて、虚無に満ちていたので勢いのまま小説にしました。




もうやだよ〜







 窓枠を雨粒を叩く音に、ボリュームを絞ったテレビから聞こえるバラエティの賑やかな声。

 週の初めの夜は代わり映えしない穏やかさを抱えていた。パスタの乗っていた皿が、テーブルの上で刻々と乾いていく。これから何をしよう。走りかけのソーシャルゲームを片付けようか、それとも抱えた創作意欲をどこかにぶつけようか。そんな緩やかな思考は、突然断ち切られた。

 カカン、と聞こえたそれは、部屋に満ちたどの音よりも鮮明で。思わず音のした方を振り向けば、エアコンの隙間から水が滴り落ちていた。はたからみてもそれなりの量のそれは、部屋の片隅に置きっぱなしにしていた限定デザインの缶に意気揚々と叩きつけられている。

 あっやべ!と前頭葉から直接言葉が口をついて出た。反射で足元に投げられていたフェイスタオルを片手に掴む。押し付けたそれが溢れる水分を次々に吸い上げていく。

 少しずつ重くなるそれを押し当てながら、さてどうした物かと思考を働かせた。その昔にフルスロットルで換気扇を動かした結果水があふれでた過去が脳裏を過ぎる。

 晩御飯を作ったあと、換気扇を切った記憶はない。原因それかよ。はぁ、とため息をひとつ着いてから、上げていた右手を下ろした。

 タオルを外されたそこからは瞬く間に水が零れて、再び歪なリズムが缶を鳴らす。散乱した床、まばらに覗くフローリングを渡り歩いて、キッチンの換気扇の電源を落とす。

 これでどうにかなるだろう、と内心一息ついて、己の定位置へと戻った。

 缶の中では淡々と水たまりが広がっている。放っておけばそのうち収まるだろう、とテレビの音量を上げた。

 けれど。十分が経って、二十分が過ぎて。水音は途切れることを知らなかった。水溜まりはいつの間にか浅瀬へと変わっている。

……これはもしかしなくても換気扇のせいじゃないな?

タオルは既に洗濯カゴへと投げてしまった。ティッシュを二、三枚引っ掴んで、音の発生源へと押し当てた。

 そのままスマートフォンを操作する。助けてgoogle先生、検索欄には『エアコン 水漏れ』の単語が並んだ。

 ヒットしたサイトをみれば、どうやらホースに問題がある場合が大多数で、まれにフィルターが原因にもなりうると書かれていた。

 なるほど。どちらも大いに心当たりがある。新しくないエアコンの型から考えるに、ホースにガタが来ていてもおかしくない。それとも、本格的に稼働させ始めたくせにフィルターを掃除していないことの腹いせだろうか。隙間に貼り付けたティッシュがどんどんと水分を滲ませていくのを後目に、エアコンのカバーを外した。途端にばぢん、とまたしても歪な音。これ以上何があるんですか?と恐る恐る視線を動かせば、カバーをこれまで支え続けていた左上の爪が割れていた。

 もう許してくれよォ〜!と叫びそうになる喉元をぐっと堪えてフィルタを見た。僅かに埃のはったそこはどこからどうみても原因にはなり得ない程度の汚れで。

 爪という箍の外れたカバーは、支えの半分を失ったことで不安定に揺れた。横から覗いてみれば、どうみても左側だけズレている。もう知らん。

 フィルター原因説は外れだった。かくなる上はホースをどうにかするしかない。どうやら専用の器具がAmazonで手に入るらしい。それっぽいやつを買い物かごへと突っ込んで、画面をタップする。明日中に届きます、の文字を見ながら安くない勉強代だなぁとため息をついた。

 吐き出される水分を利用して隙間にティッシュを貼り付けては、重たくなったそれが缶の中へと落ちる、を繰り返して。未だ水量は減らない。五つ目のそれが缶の中へと落ちた時だった。


 お 前 も う マ ジ で 今 ど う に か し た る か ら な !


 先刻見たサイトには、掃除機での対処方法も書いてあった。今取れる最善の策はどう考えてもこれしかなかった。

 乱雑に積まれた物の山、届いてから開けることさえしなかったマスクのうちの一枚を引っ掴んでテーブルの上へと放り投げる。ペンケースから取り出したのは長年連れ添ったはさみ。

 じょき、じょきと端を切り上げる。それを二度繰り返して、使う分と予備とのガーゼが出来上がる。

 輪ゴムはその辺に転がっていた。部屋きったねぇなぁ、と自嘲しながら掃除機を持ち出す。ヘッドを外して、引きずり出したコンセントをタコ足につなげて、ガタガタとベランダに出た。

 虫の侵入対策にコードの分まで窓を閉めて、室外機の隣へと掃除機を並べた。

 目的のホースはすぐ見つかった。壁の際、側溝の行き当たりにだらりと伸びたそれを掴む。上半身を室外機と壁の間に入れ込むようにしたせいか、右肩が酷く張った。ガーゼで先端をおおって、輪ゴムでそれっぽく巻き付ける。どうにか出来上がったそれに、いよいよ掃除機を繋げた。

 頭に打ち付ける雨がどうしようもなく虚無感を加速させる。ベランダからぶおお、と掃除機の音が路地に降り注ぐ。数秒で止めて、そっと接続を外した。

 途端にドレンホースの先から水が溢れた。これは勝ち申しましたわ。張った肩をぐるりと回す。心の中でガッツポーズを決めながら、掃除機を抱えて部屋へと戻った。けれど音はまだ止んでいない。

 は?そんなことあるか?

 もはや反射でベランダへと踵を返した。

 リベンジ戦である。再び掃除機をベランダに引きずり出して、ホースの先をもう一度ガーゼで覆った。今度こそ討ち取ってやるからな!もはや意地に近かった。一度でダメなら二度三度。数秒電源を入れては切るを重ねた。

 ガーゼはぐっしょりと濡れている。もういいやろ、いやでも。石橋をまだまだ叩こうとする己を押さえつけて、そのままベランダを後にしようとして。よいしょ、と持ち上げた掃除機が水を吐いたのはその時だった。やっべやっべ!慌てて水平に抱え直して、慎重に室内へと戻る。

 そっと部屋の中に今回の頑張りました大賞受賞者の掃除機を置いた。多分中もびしょびしょなんだろなぁ、と蓋を開ければ案の定未だに現役の紙パックが湿りきっていた。そのままゴミ袋に紙パックを移して、キッチンペーパーで中を拭きあげる。新しく押し当てたペーパーがじわりと濡れていった。

 こんなものだろうか。電源を押してペーパーを回収すれば、湿って小さな塊になっている。

 片付けなきゃな、なんて思って。

 ばるるるるん、ばるるるるん!と電源の切れた掃除機から、明らかにやばいラップ音が響いた。血の気が過去一のスピードで引く。

 やっっっっっっべ!!!!!!!!!!!タコ足から急いでコードを引き抜いた。途端に止んだ音に、けれど安堵は一切出来なかった。

 もうこの掃除機はダメだ。そう感じると同時に、さっきの音がまるで死期前呼吸のようだったとすら思えて。

 二年半の付き合いだったなぁ、なんて考えながら掃除機を持ち上げる。水平に、水平に、と意識はあった。部屋の定位置にとりあえず、と足を踏み出そうとした瞬間。右足が盛大に濡れる感覚。びちゃり、ともう聞きたくなかった音がする。

 足元をみれば敷きっぱなしの冬用のラグがまるでお風呂上がりのよう。もうなにもかも嫌になって、今度こそ掃除機を抱えたまま天を仰いだ。



 何食わぬ顔をして壁に居座るそれと対照的に、動かなくなった掃除機は45Lのゴミ袋を棺に部屋の隅に安置されている。

 戦い抜いた一時間半、既に体力のゲージは底を尽きかけている。虚無感に包まれたまま、ベッドの上で転がっていた。

 掃除機、捨てて買い換えないとなぁ。既に姿を消した給付金には頼れない。記憶の中の口座残高が、頑張れよと肩を叩いた。

 そもそも引っ越してから粗大ゴミなんか出したことない。出ずっぱりで働くスマートフォンが、今度は画面に区の処分方法を映し出していた。Amazonでせっかく頼んだのも多分無駄になるだろう。もう何もかもめちゃくちゃだった。

 水はもう、とっくに止んでいる。


 そもそも全部お前が悪いんだよなぁ。全ての元凶を睨めども生命を持たないそいつはうんともすんとも言わない。

 全部君が悪いのに。君がいないと、きっとこの夏は越えられない。




エアコンへ

来世まで働いてもらうからな

浦辺より